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口頭による講評および判定理由の説明の役割に関する一考察

松本 茂(東海大学 日本ディベート協会(JDA)理事)

初出: Debate Forum vol. XV No2 (2001)
web掲載:2002.4.10


1 はじめに

 これまでの日本での英語ポリシー・ディベートの大会では、試合直後に行われる口頭での「コメント」では、全般的な講評に終始し、勝敗を明らかにせずに、判定用紙に判定結果と判定理由を書くことがつねであった。しかし、ここへきて、この方式が見直され、試合が行われた教室で審判が判定を発表し、全般的な講評だけでなく、判定の理由も口頭で述べるというシステムを実験的に導入する大会もでてきたようである。この制度に対する感想や評価は様々で、日本ディベート協会のMailing Listでも数多くの議論が展開された。主に現役や若い審判の方々がこの制度への違和感を表明されているケースが多い。そこで、この小論では、この制度の運用に関しての一考察を提示する。

2 80年代初頭のアメリカ

 私がアメリカのマサチューセッツ大学のディベート・チームに関わったのは197981年の2年間で、もう20年以上も前の話である。現在のアメリカでのディベート大会では、試合後に審判が口頭で審査結果を公表し、判定理由を述べるスタイルが主流となっているらしいが、その頃は、試合後に口頭でコメントをする大会は少なく、試合結果を大会運営室に報告したあとに、B5サイズくらいのスペースに小さな字で長々とした判定理由を書くのが常であった。

 大会は木曜日か金曜日の午後から日曜日まで行われたので、予選の日の夜には宿泊先のホテルで、判定理由をフローシートを見ながら持参した電動タイプライターで打つこともあった。しかし、初心者を対象とした大会や高校生のための大会などでは、口頭でコメントすることもあった。より丁寧な指導が必要と思われる大会や試合では、口頭での講評が採用されていた。つまり、次の試合で同じような間違いを繰り返すことなく、試合ごとに向上してもらいたいという教育的な配慮の表れだったと考えてよいだろう。

3 ディベート甲子園

 ディベート甲子園(全国中学・高校ディベート選手権)では、第1回大会(1996年開催)から、試合後に各教室で審判団の一人が講評、判定、判定理由を述べている。なぜこの方式が取られたのかについては、大会運営上、判定理由を書いてもらう時間的な余裕がなかったということだけでなく、判定理由を述べることによって出場する選手に大会中にもスキルを向上させてもらいたいということと、比較的経験豊かな審判が判定理由を口頭で述べることによって、一緒に審査をした経験の浅い審判を育てるといった教育的な配慮があったと記憶している。

 私は、ディベーターと審判への教育的効果以外にも、観客への指導という意味からも口頭による判定結果と判定理由の発表は意義深いと考えている。最近の大学生の英語ポリシー・ディベート大会の予選では、審判とタイムキーパー以外に観客は数えるほどしかいないことも少なくないが、ディベート甲子園の場合は、予選の段階から観客がいる。場合によっては何十人といることもある。観客にとって審判がどちらのチームをどのような理由で勝ちにしたかということは大きな関心事であるし、審判の判定とその理由を聞くことによってディベートにたいする理解も深まるはずである。

 松本(1999) が決勝戦での判定と判定理由を聴衆に聞いてもらうことの意義について、「・・・、『2組のディベート・チームを数名の審査員が審査しているのを大勢の聴衆が見ている』というのがディベート大会決勝戦であると言える。ここで大切なのは、ディベートを見ているだけでなく、審査を含めて見ているということである。」と述べているように、観客にとっては審査結果を聞くことによって教育活動が完結するのである。判定理由を聞かないと、見たままのディベートの印象に止まり、ディベートとは何であるかということについての理解が深まらないばかりか、誤解してしまうケースもあり得るのである。

 ディベート甲子園の場合、口頭での判定結果発表等に関する教育的な意義について、おおむね理解され、定着したといってもよいであろう。その証拠に今年度の第5回大会(2000年)までほぼ同じシステムが採用されている。

4 むすび:口頭での判定システムを導入するにあたって

 日本ディベート協会のMailing Listでは「ジャッジがいやがっている」といった意見も散見される。英語ポリシー・ディベート大会では審判の確保も難しくなってきているようなので、このシステムが尻込みをするジャッジを排斥し、審判を確保できなくて大会運営に支障をきたすような事態になってはならない。NAFAなどのディベート団体は審判養成講座をさらに充実し、より質の高い審判員を数多く育成するシステムを構築すべきであろう。

 また、ディベート甲子園試合運営小委員会(2000)が発行している『審判講習会テキスト』では、判定スピーチの仕方について4頁をさいて、(1) 内容、(2) 時間配分、(3) 留意点、(4) 講評の例について詳細に解説している。英語ポリシー・ディベート用の類似の解説書を作成すれば、判定を英語を使って口頭で説明することにたいする抵抗感を少しはやわらげることができるのではないだろうか。


[引用文献]
1 ディベート甲子園試合運営小委員会(編)(2000).『審判講習会テキスト』東京:全国教室ディベート連盟

2 松本 茂(1999)「日本語ディベートにおける『わかりやすさ』に関する考察」 『スピーチ・コミュニケーション教育』第12号(日本コミュニケーション学会)、30-41頁。

(まつもとしげる)

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