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JNDT関東予選観戦記
(第6試合 早稲田大学ESA(B) vs 上智(A))
〜自分の議論に責任を持つ〜

大山彩子(獨協大学4年、NAFA理事)

初出: 2002.5.13 NAFAニュースレター#7〜JNDT関東予選編〜
http://www.t3.rim.or.jp/~nafa
web掲載: 2002.6.5




 今大会の関東予選、第6試合のいわゆるHigh-Highの当たり(得点が高いチーム同士の対戦)は、女性ディベーター4人による試合でした。この試合の中で否定側第一反駁のスピーチは「立論に基づく反駁」の基本を忠実に守り、とてもよいスピーチであったと思います。

 立論で出した議論を「使って」反駁を作る、これはディベートを学ぶ際に「反駁」スピーチの説明としてよく使われる言葉です。しかし、実際にどのようにして立論の議論を「使え」ばいいのか、立論と反駁の違いは何か、ということをきちんと考えてスピーチをしているディベーターは多くありません。多くのディベーターは立論の議論を「伸ばして」反駁を「しているつもり」にとどまっていると思います。

 この試合で否定側第一反駁のスピーカーは反転(Turn)を伸ばす時、相手のインヒアレンシーを使ってユニークネスの説明をし、エビデンスの内容に説明を加えリンクとインパクトの説明をし、更にこの議論が成立するとケースのアドバンテージはどうなるのか、ということを順序立ててスピーチしていました。ありがちなのは、エビデンス自体は「伸ばす」けれど、その「議論」を反駁で「使い」きれていないスピーチです。例えば単純に「No Inherency」と言ってエビデンスを伸ばして終わってしまうと、「何が相手のインヒアレンシーで、その"No Inherency"のエビデンスによって何が否定され、最終的にケースはどのような状態として評価するのか」という部分をジャッジが考えなくてはいけなくなります。本来はこの部分はディベーターが反駁の中で証明/説明すべきことであり、それをしない反駁スピーチは立論と同じだと思います。

 「自分の議論に責任を持つ」、これは他人を説得する上で欠かせない要素だと思います。全国予選では地区予選よりも更に良いスピーチを掲げて試合に臨むディベーターが増えることを願っています。

(おおやまあやこ)

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